経産省 審議会メンバーとして色めいている、寺島 実郎氏の論調を批判的に読む。役所の使い走りに様相を呈している。
経産省の流れに沿った方向でやれるから寺島 実郎はメンバーをやっていらえるといえる。
問われる構想力とエンジニアリング力 寺島 実郎 2011年6月21日(火)
復興計画のあり方について 若者に復興計画の策定から実践までを任せよう
東北圏の 過疎化、高齢化の流れ
前回は、原子力発電所事故の影響と、日本のエネルギー政策のあり方について話を聞いた。今回は、復興計画のあり方についてまとめる。
震災前に、国土交通省がまとめたデータに、東北圏の人口は、2050年には現在の3分の2に減っているという予測がありました。老年化指数 (15歳未満人口100人に対する65歳以上人口の比)は、現在の24、25%から44%に増加します。
つまり、今後40年で過疎化と高齢化が極端に進む地域だとみなされていたのです。
この過疎化、高齢化の流れは、3・11を境に、急激に加速しました。
このままでは、現在、全国に散らばって避難生活を余儀なくされている被災者の人たちは、将来、ふるさとに戻ろうにも戻れなくなってしまいます。3・11以前から、産業の基盤がなくなる流れの中に、東北はあったからです。
ですから、復興の最大の論点は、魅力のある産業基盤をどう構築するかにあります。
元に戻すことには意味がありません。堤防を造り、町並みを元通りに戻してめでたしめでたしでは、決してない。どうやってその町で生活していくのか、飯を食って、結婚し、子どもを育てていくのか。それができる場を作れなければ、復興したとは言えません。
製造業の空洞化をどう防ぐか
では、どうしたらいいのか。
例えば今、東北では、ものづくり、つまり第2次産業での空洞化が起きています。東北に生産立地していた工場のうちの少なくない数が、これを機に海外に出ようという方向に動いています。
極端に言うと、この震災で、海外進出の口実が見つかったのです。
経営者の多くは、続く円高をてこに海外に出た方がいいという誘惑を感じていたはずです。震災は、それが高まったタイミングで起こりました。
さらに、原発の事故以来、各国は、日本からの輸入品には二重、三重のチェックをかけるようになりました。また、電力料金の値上がりは必至です。
あらゆる点で、国内に留まる理由はなく、海外に出る理由ばかりが揃った状態です。
中国とインドという大きな市場をにらめばなおさらです。東南アジア諸国連合(ASEAN)はすでに、中国とインドとの間で自由貿易協定を定め、発動させています。
ASEAN各国は、インドと中国に対して、関税特恵を受けながら生産できる拠点になっているのです。
そういうところへ生産をシフトしていった方がいい。まっとうな経営者はそう考えるでしょう。
それを日本にとどめておくには、日本の今までのところに配置しておいた方がいいということを、説得力ある形で描ききらないとなりません。
例えば、相当なインセンティブの付く特区構想を描くなどの措置が必要です。
東北は食材王国
次に、第1次産業です。東北は食材王国です。東京の人間はどれだけ東北の恩恵を受けてきたでしょう。その農業と水産業を、どれだけ逞しいものとして蘇らせられるかが問われています。
既に一部では、船を津波で失ってしまった漁業者たちが残された船を共有することが試みられています。農業者の間でも、農業生産法人あるいは農業流通法人を設立しようという動きが出始めています。
この動きは、大きくしなくてはなりません。
というのも、これこそが、生産者、つまり額に汗して働く人に対して、より大きな付加価値を還元できる仕組みだからです。
非常に分かりやすい言葉で言えば、これは、年収300万円以上の収入を得られる1つのプラットフォームです。それがないのに「ふるさとへ帰ろう」「頑張れ」と言っても、どうにもなりません。
ですから、産業力の創世にどれだけの構想力が問われているのです。
これが復興の1本目の柱です。
では2本目は何かというと、東北の太平洋側と日本海側の連携です。
例えば岩手と秋田、宮城と山形、福島と新潟といった、奥羽山脈を挟んで東西にある待街を連携させ、復興させることが重要になります。
ここで、キーワードになるのがアジアダイナミズムです。
例えば仙台と山形は、高速道路を利用すれば1時間強で行ける距離です。近いのです。
すると、仙台から見ると、例えば山形の酒田港は、中国、韓国、タイ、ベトナムといった市場への輸出港となり得ます。
日本海側の港を活用して、太平洋側を復活させていく。
この視点が、政府の復興構想の中にどこまで入ってくるでしょうか。
3本目は、首都機能の東北地方への分散です。今回の出来事で、首都圏にあらゆる機能が集中していては良くないと多くの人が考えたはずです。
万一、東京になにかあったら、とてつもない出来事が起こるだろうと、誰もが予感したでしょう。
首都機能は、より機能的に分散しなくてはなりません。東京をどこかへ移せばいいのではなく、副首都的な機能を分散するのです。
この議論は約10年前にもありました。私も議論に参画し、何回か国会で証言もしました。ワシントン、ニューヨーク方式で分けた時にどうなるかという議論があったからです。
東京からの移転先として、どこがふさわしいかという議論がありました。
何カ所か挙げられた中に、那須から阿武隈にかけてのエリアがあります。
今回も、地震で運転を見合わせた新幹線のうち、東京と那須塩原との間はいち早く回復しました。あのあたりは、地盤が強いのです。
ですからそこへ、例えばICT(情報通信技術)基盤なり一部行政機能なりをシフトさせるべきです。
復興計画の実現に際しては、学生ら若い人たちを巻き込みます。これが4本目の柱です。
不況であった1929年直後、米国は、市民保全部隊を組織して若者に職業訓練の場を与えました。就職氷河期でもある今こそ、これに倣うのです。
若者に復興計画をあえて任せる
若者のボランティアへの情熱は、不思議なほど高まっています。大変素晴らしいことですし、否定するつもりはありませんが、若い人たちも、大人も、この状態に満足していてはいけない。若い人には、もっともっと情熱を持って突き上げてくる力を見せてほしいし、そういう場を作ることは、我々の役割です。
具体的には、若いエネルギーを吸収できる、復興支援部隊のような組織を編成し、そこへの参加を呼びかけます。参加者へは、もちろん、賃金を支払います。
知恵や情熱を持つ若い人たちが数千人規模で集まるでしょう。そこで「君たちならどうするか」と任せてみる。
例えば都市計画。おそらく「無機質ではない、人の顔が見える都市をつくるべきだ」というような意見が出るでしょう。一方で、新宿・歌舞伎町や新橋・烏森のような繁華街も必要だという話も出るでしょう。
あるいは、イタリアのベネチアのように、ボートでなくてはアクセスできない場所にある、大変不便だけれど魅力があって、多くの観光客が押し寄せる街がいいと言うことになるかもしれません。
いずれにしても、高層ビルが建ち並ぶ都市ではなく、森林と共生する、低い目線で暮らせる、言わば「杜に沈む副首都」を作ろうということになるはずです。
では、それをどう実現するか。
そこまでを、若い人に任せてみたらいいと思います。
この先、30年、40年、50年と日本に責任を持つ若い人たちが、東北はどこへ向かっていくべきかの指針を生み出すはずです。
この動きは、被災地の外の地域へも広がるでしょう。
思いがけず、3・11で日本が変わりました。今後は、よりよい方向へ変えて行かなくてはなりません。どうやって瓦礫を処理するか、どこに仮設住宅を作るかという議論も必要です。しかし、そこに留まっていては、真の日本の復興、創生はありえません。復興には、構想力と、それを実現するエンジニアリング力が必要です。日本にその力はどこまであるのか。今、世界からそれが試されています。
◆ 寺島実郎氏がコーディネーター・総括講演を行う
日本総合研究所のフォーラム開催のお知らせ ◆
「日本の試練―この危機をどう創造的に乗り切るか」
■ 日時:2011年7月20日(水)18:20~20:40
■ 場所:時事通信ホール(東京都中央区銀座5-15-8)
■ お申込み、詳細はこちらから
(財)日本総合研究所
要約
過疎化、高齢化 → 魅力のある産業基盤をどう構築するか
相当なインセンティブの付く特区構想を描くなどの措置が必要
疑問
▼産業の基盤はなぜなくなったのか
▼農業生産法人
Wikipedia
第二次産業には、第一次産業が採取・生産した原材料を加工して富を作り出す産業が分類される。クラークによれば製造業、建設業、電気・ガス業がこれに該当する。 日本ではこれに工業が入る。
現代においては製造業も多様化しており、古典的な第二次産業の枠内に収まりきれない業態も出現している。例えば、アパレル等ファッション関連では、消費者の嗜好の移り変わりが早いので変化を迅速に生産に反映させるために、製造から小売までを一貫して行う業態(製造小売業)[1]が主流となっている。逆に電器産業ではOEMやファウンダリーへの発注などにより、商社化が進んでいる場合もある。また、研究開発などの情報や知識を生産する機能を第四次産業として位置づける考え方も提唱されている。
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