寺島実郎
民間企業での原発は限界、国家主導で統合的運営を――日本総合研究所理事長・寺島実郎(1) - 11/07/06
福島原発事故と中東情勢の混迷を受けて、日本のエネルギー政策は大きな転換点を迎えている。エネルギー問題に詳しく、5月に経済産業省「今後のエネルギー政策に関する有識者会議」委員に就任した寺島実郎氏に聞いた。
──福島原発事故で日本のエネルギー政策は転換を迫られています。
今回の事故で日本の原発安全神話は崩壊した。チェルノブイリやスリーマイルでも経験したように、原発はひとたび事故を起こせば、人間の命にかかわる重大な事態を引き起こし、長期にわたって発電停止状態が続く。それを考えれば、原発は環境に優しいとか、ほかの電力に比べコストが安いということが間違いであることは明らかだ。しかし、そんな論拠でこの問題を論じたくない。
私は原発反対論者でも、推進論者でもないが、今後の日本のエネルギー政策を考えていく前に、まず日本が原子力に関して世界でどういう立場にあるのかを考える必要がある。
原発を推進している米国、英国、フランス、ロシア、中国の5大国はすべて、軍事力としての核を持ち、平和利用としての原発という両輪で動いている。しかし日本は軍事力としての核を持たず、平和利用に徹して、原子力の技術を維持、蓄積してきた。今後、中国、韓国、台湾、ベトナムなどアジアの国々が新たな原発を次々稼働させていく中、日本がすべての原発を止めて、技術の蓄積をなくしてしまえば、原子力だけでなくエネルギーに関する発言の基盤さえ失っていくのではないか。
今回の事故は悲惨なものだが、これを乗り越え、その経験を基に平和利用に徹した原子力の技術を持つ国としてあり続けることは、たいへん意味のあることだと思う。原子力を安全に制御するための技術者養成と技術蓄積は、今後も必要だ。
では、今のままの原発推進体制でいいのか。技術維持のためなら研究者だけ育成すればいいのか。昨年、政府が掲げた電源供給の5割を原発で賄うとの目標は無理だが、20~25%程度は原発でやるという決意をし、それに見合う人材と技術蓄積をしていくのが妥当ではないか。
無限賠償責任負う企業に原発運営は任せられない
ただし、今の9電力プラス日本原子力発電、電源開発、という「国策民営」体制には甚だ問題がある。国家がより責任を持って、踏み込んだ体制にしていかなくてはならない。
たとえば今回の福島原発事故を見ても、その賠償スキームによれば、東電は現状のままで「機構」なるものを設立し、財政多難な国は真水のカネを一文も出さず、長期にわたって東電にカネを貸し付ける。東電はそのカネで10兆円を超すような賠償金を支払い、その後は数十年にわたって借金を国へ返すだけの企業となる。給与はカットされ利益も出ない会社では、社員のモチベーションがなくなり現場力も落ちる。そんな企業に原発をやらせていていいのか。
要するに、無限賠償責任を負わせた民間企業に、原発は任せられないということだ。何か事故が起きたら10兆円にも及ぶ賠償が発生するような会社の経営は成り立たない。
技術者の分散という問題もある。原発を運営している9電力プラス2社には約9000人の原子力技術者がいるが、それぞれ独立した企業であるため、東電の原発で事故が起きても、他の会社は自社の技術者を福島に出せない。もし彼らが被曝でもしたら経営責任を問われかねないからだ。つまり、独立した企業がそれぞれ原発を運営している現状では、事故が起きても技術者を結集させて対応することができない。さらに株式会社という組織では経営の効率性が重要視され、福島第一原発1号機のように古いと思っても、使い続けてしまう経営判断が行われがちだ。
しかし、国家の意思として、統合された形で原発を運営していれば、古いものから順次廃炉にして、より新しい安全なものに切り替えていくこともできる。
もう一つ重要なことは、国家主導といっても"親方日の丸"の国策会社で、無責任な、現場力のない体制になってはいけない。そこで大切なのが「開かれた原子力」の体制にしていくことだ。つまり、経営の国際化ともいうべき体制作りで、日本は平和利用に徹した透明な経営をしている、というすごみを世界に見せていく。たとえば、経営トップは必ずしも日本人でなくていい。再処理問題などでアジアの原子力の安全と安定を図るための礎石になる、ぐらいの姿勢を見せていくべきだろう。
――当面、化石燃料による発電でつなげるという考えについては?
原発以外に、日本のエネルギー政策あるいはエネルギー安全保障のうえで目が離せないのが、中東情勢だ。日本は石油の9割、LNGの25%など一次エネルギーの約4割を中東に依存しているが、その中東情勢がいわば液状化していることは極めて重大な問題だ。昨年の米軍イラク撤退以降、中東では米国の影響が薄れ、また米国に代わって覇権を握る国も現れず、「覇権なき中東」の状態となっている。それに加えて、親米といわれる国から始まった民主化運動の動きも見逃せない。
菅直人首相は先頃のG8で、2020年までのできるだけ早い時期に電源供給の2割を再生可能エネルギーで賄う方針を表明したが、この数字の持つ意味は何か。
そもそも昨年6月に発表したエネルギー基本計画においてさえ、30年には再生可能エネルギーの比率を2割に引き上げるとしていた。それを10年近く前倒しするのだと理解すれば、再生可能エネルギーへの旗振りをしているとも取れるが、この数字はあまりにも中途半端だ。つまり昨年のエネルギー基本計画は一方で、30年までに原発の比率を50%に引き上げるとしていた。それが今回の事故で後退し、逆立ちしても25%が限度、現実的には20%ぐらいだろう。その差の30%を何で埋めるのか。
それは化石燃料か再生可能エネルギーしかないわけだから、その半分を埋めるにしても、再生可能エネルギーは35%になっていないとつじつまが合わない。残り15%を化石燃料で賄うとしても、中東情勢も考えれば、今よりもさらに化石燃料比率を高めてやっていけるのかどうか。
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ドイツは再生可能エネルギーの比率を30年までに35%へ高めることを目標にしている。それに比べると日本の目標20%はあまりにも低すぎる。少なくとも30%以上を目標にしてパラダイム転換をしていかなければ、20%目標さえ達成できないのではないか。再生可能エネルギーの比率は水力も含めた数字だが、太陽光、風力、地熱、バイオマスなどを合わせて30%以上にしていくには、そうとうな覚悟が必要だ。
それぞれの再生可能エネルギーにはコストや効率性などの課題があるものの、努力すれば可能性は大いにある。こうしたエネルギーの「ベストミックス」こそがエネルギー問題解決への道だ。
てらしま・じつろう
1947年生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了。米国三井物産ワシントン事務所長などを経て2001年より日本総合研究所理事長。06年から三井物産戦略研究所会長兼務。09年から多摩大学学長。
(聞き手:木村秀哉 撮影:吉野純治 =週刊東洋経済2011年6月25日号)
要約
疑問
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Wikipedia
第二次産業には、第一次産業が採取・生産した原材料を加工して富を作り出す産業が分類される。クラークによれば製造業、建設業、電気・ガス業がこれに該当する。 日本ではこれに工業が入る。
現代においては製造業も多様化しており、古典的な第二次産業の枠内に収まりきれない業態も出現している。例えば、アパレル等ファッション関連では、消費者の嗜好の移り変わりが早いので変化を迅速に生産に反映させるために、製造から小売までを一貫して行う業態(製造小売業)[1]が主流となっている。逆に電器産業ではOEMやファウンダリーへの発注などにより、商社化が進んでいる場合もある。また、研究開発などの情報や知識を生産する機能を第四次産業として位置づける考え方も提唱されている。
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