2011年12月3日(土)
全体主義(ぜんたいしゅぎ、英語: totalitarianism、フランス語: totalitarismo)とは、個人の全ては全体に従属すべきとする思想または政治体制の1つである。この体制を採用する国家は、通常1つの個人や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く、公私を問わず国民生活の全ての側面に対して可能な限り規制を加えるように努める[1]。
政治学では権威主義体制の極端な形とされる。通常は単なる独裁や専制とは異なり、「全体の利益を個人の利益より優先する」だけではなく、個人の私生活なども積極的または強制的に全体に従属させる。全体主義の対義語は個人主義、権威主義の対義語は民主主義である。
ファシストは、国家が、国家の強さを保つために暴力の実行や戦争を行う意思と能力を持つ、強力なリーダーシップと単一の集団的なアイデンティティを必要とする有機体的な共同体であると信じる[20]。彼らは、文化は全国民的な社会とその国家によって創造され、文化的観念が個人にアイデンティティを与えると主張し、したがって個人主義を拒絶する[20]。彼らは国家を1つの統合された集合的な共同体とみて、多元主義を社会の機能不全の様子とみなし、国家が全てを表すという意味での全体主義国家を正当化する[21][22]。
ファシストは一党制の国家の創設を主張する[23]。ファシストは、ファシストの国家の一部とはみなされず、かつ同化を拒否するか同化できない、文化的または民族的な集団による自治を拒絶し抵抗する[24]。彼らはそのような自治を創設する試みは、国家への侮辱や脅威とみなす[24]。ファシストの政府は、ファシストの国家やファシスト運動への反対を禁止し抑圧する[25]。彼らは暴力と戦争を、国家の再生や精神や活力を創造する行動であるとみる[26]。
ファシズムは平等主義や物質主義や合理主義の概念を拒絶し、行動や規律や階層的組織や精神や意志を支持する[27]。彼らは、排他的で経済的な階級をベースとした運動であるとして、ブルジョワ階級の運動である自由主義や、労働者階級の運動であるマルクス主義に反対する[28]。ファシストは彼らのイデオロギーを、経済的な階級闘争を終了させて国家的な団結を確実にする、経済的に超階級的な運動として提示する[29]。彼らは、経済的な階級には国家を適切に統治する能力は無く、経験豊かな軍人たちからなる優秀さを基礎としたエリート集団が、国家の生産力の組織化や国家独立の確実化などを通して支配するべきであると主張する[30]。ファシズムは保守主義を、社会秩序への支持という部分的な価値と把握するが、しかしその変革や近代化に対する典型的な反対には賛成しない[31]。ファシズムは自分自身を、強制的な変革を推進する国家管理された近代化を主張する一方で、多元主義や独立した主導権という社会秩序への脅威に反抗することによって、保守主義の利点と欠点を把握した解決方法であるとする[31]。
ファシストは経済政策では、自由放任の資本主義などの凶暴な個人主義や、国家社会主義(state-socialism)による厳格な管理に対して、その両方より優れたと信じる「第三の位置」を支持する[32][33]。イタリアや他の多くのファシスト運動はコーポラティストの経済を推進し、それによって理論上は、国家の利益に貢献する、労働関係の調和と生産の最大化の両方を実現するための、部門別の会社の中の資本家と労働者の利益集団の協業を表現する[34]。ただしナチズムなど他のファシスト運動やイデオロギーでは、この経済形態は使用されなかった[34]。
コーポラティズム(伊: Corporativismo、英: Corporatism)とは、共同体を人間の身体のように見做し、個人の間における有機体的で社会連帯的で機能的な特質と役割に基礎を置いた、政治や経済や社会の組織のシステムの1つである[1][2]。
コーポラティズムの概念は19世紀のヨーロッパで発生した。
多数決ではなく、全会一致を求められる場面で発生する。少数意見を有する者に対して強制的に態度変容を強制する手段はさまざまな方法がある。少数意見を有する者に対して物理的に危害を加える旨を通告するような明確な強制から、多数意見に逆らうことに恥の意識を持たせる、少数意見を有する者に対するネガティブ・キャンペーンを行い風評被害を与える、「一部の足並みの乱れが全体に迷惑をかける」と主張する、意見の根拠を問い質す、同調圧力をかけた集団から社会的排除を行うなど暗黙の同意を要求する場合がある。
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