◆「資本主義で搾取する手口」 10月2日 晴耕雨読
発展途上国が、産業が発展途上にある国であることは、誰もが知っている。ただ産業が途上だからといって、貧しい理由はどこにもないが、現実には貧しい暮らしをしている。発展途上国の現状は見たが、その中で暮らす民衆は、どのような境遇に立たされているのだろうか。
発展途上国は、すでに述べたとおり、国家としては、先進国から多額の援助を受けている。その額も決して少なくはない。しかし援助のほとんどは、ダムか発電所である。どうして電気なのか。実に不思議である。
電気を必要としているのは、自国の産業を発展させたがっている、一握りの特権階級と外国企業のためであるのはいうまでもない。しかし、電気にこだわるのには、それ以上のわけが隠されていた。
発展途上国には、いまでも電気の引かれていない地域がたくさん残っている。
一般にはそれが悪いことのように語られているが、電気を使っていない人々に電気は必要ない。それなのにわざわざ大金をかけて、人里離れた山奥にまで電気を引こうとする。
では電気を引くと、一体何がおきるのだろうか。
停電になればすぐに実感できることだが、電気はとにかく便利である。この便利さのために、一度使いはじめると止められなくなってしまう。もちろん、便利になることは、だれも反対しないが、電気を使うにはお金が必要である。
我々には当たり前でも、発展途上国には、物々交換が主流で、貨幣経済が浸透していない地域がかなり多く残っている。そのような地域に電気を普及させると瞬く間のあいだに、より本質的なお金の魔力にとりつかれた人々が増えるのである。
また、ダムや発電所や工場を建設するために、先祖代々、谷や平野で暮らしてきた人々が、わずかばかりの立ち退き金で、強制的に移住させられてしまう。狩猟地や農地が取り上げられ、付近の土地や河川が汚染されてしまうと、もはや昔のような自立した生活はできなくなってしまう。
貨幣経済も自然破壊も、自給自足の生活を止めさせる点で一致していた。
自給自足さえ止めさせてしまえば、市場と労働力が、同時に生まれるのである。
資本主義を望む人間にとって、まさに一石二鳥であることがわかるだろう。
自給自足をしていたお陰で、資本主義の荒波から逃れていた人々が、ふと気づいたときには、お金がなければ暮らせない貧困労働者として、低賃金で搾取される資本主義のシステムに組み込まれている。なかなか仕事にもありつけず、搾取と貧困に喘ぐ人々とは、このようにして作られていた。
もちろん、すべてが搾取ばかりではない。現地の人々に文明の恩恵を与えようとした、善意からの行為もある。しかし、それらの人々は、資本主義経済に取り込むことが何を意味するのかなど考えてもいない。たとえ人々のためと思ってしたことでも、逆に不幸のどん底に陥れさせてしまうことが、驚くぐらい多く見られるのである。
搾取には、さまざま種類があるため、厳密に定義することは難しい。一般に使われる搾取とは、その国の労働基準法が定めた、最低労働賃金を下回る労働をさせている場合である。もっともこれは労働基準法がある現代の話しであるが。
労働基準法に違反すれば、明らかに搾取のはずだが、それでも世界中のありとあらゆる場所で公然と違反が続いている。違法滞在者、密入国者、発展途上国など弱い立場の人々は、どんな仕事でももらえれば幸運だからだ。そのような人々に、選択の余地などない。人々は常に足元を見られ、信じられないほど安い賃金で働かされるのである。
海外における欧米企業の搾取は、すさまじいものがある。正当な賃金を払っている企業もあるが、多くの場合は、最低賃金を大幅に下回る不当な搾取を続けている。世界的大企業にあるまじき行為も多々見られる。近年になり、ようやく非難の声が上がるようになったが、厳しい罰則で取り締まられない限り、搾取は続くのである。
資本主義の弱者は、ただ搾取されるだけである。弱者が強者の搾取から逃れ、救われるためには、自分が強者になるしかほかに道はない。だが、搾取から逃れるために強者になると、今度は自分が搾取する側に回ってしまう。
資本主義では、経済力のない国や人々が対等に扱われることはない。自分では望んでいなくても、結果的に搾取につながってしまうのは、すべて『西洋文明の常識』にあった。
発展途上国が、産業が発展途上にある国であることは、誰もが知っている。ただ産業が途上だからといって、貧しい理由はどこにもないが、現実には貧しい暮らしをしている。発展途上国の現状は見たが、その中で暮らす民衆は、どのような境遇に立たされているのだろうか。
発展途上国は、すでに述べたとおり、国家としては、先進国から多額の援助を受けている。その額も決して少なくはない。しかし援助のほとんどは、ダムか発電所である。どうして電気なのか。実に不思議である。
電気を必要としているのは、自国の産業を発展させたがっている、一握りの特権階級と外国企業のためであるのはいうまでもない。しかし、電気にこだわるのには、それ以上のわけが隠されていた。
発展途上国には、いまでも電気の引かれていない地域がたくさん残っている。
一般にはそれが悪いことのように語られているが、電気を使っていない人々に電気は必要ない。それなのにわざわざ大金をかけて、人里離れた山奥にまで電気を引こうとする。
では電気を引くと、一体何がおきるのだろうか。
停電になればすぐに実感できることだが、電気はとにかく便利である。この便利さのために、一度使いはじめると止められなくなってしまう。もちろん、便利になることは、だれも反対しないが、電気を使うにはお金が必要である。
我々には当たり前でも、発展途上国には、物々交換が主流で、貨幣経済が浸透していない地域がかなり多く残っている。そのような地域に電気を普及させると瞬く間のあいだに、より本質的なお金の魔力にとりつかれた人々が増えるのである。
また、ダムや発電所や工場を建設するために、先祖代々、谷や平野で暮らしてきた人々が、わずかばかりの立ち退き金で、強制的に移住させられてしまう。狩猟地や農地が取り上げられ、付近の土地や河川が汚染されてしまうと、もはや昔のような自立した生活はできなくなってしまう。
貨幣経済も自然破壊も、自給自足の生活を止めさせる点で一致していた。
自給自足さえ止めさせてしまえば、市場と労働力が、同時に生まれるのである。
資本主義を望む人間にとって、まさに一石二鳥であることがわかるだろう。
自給自足をしていたお陰で、資本主義の荒波から逃れていた人々が、ふと気づいたときには、お金がなければ暮らせない貧困労働者として、低賃金で搾取される資本主義のシステムに組み込まれている。なかなか仕事にもありつけず、搾取と貧困に喘ぐ人々とは、このようにして作られていた。
もちろん、すべてが搾取ばかりではない。現地の人々に文明の恩恵を与えようとした、善意からの行為もある。しかし、それらの人々は、資本主義経済に取り込むことが何を意味するのかなど考えてもいない。たとえ人々のためと思ってしたことでも、逆に不幸のどん底に陥れさせてしまうことが、驚くぐらい多く見られるのである。
搾取には、さまざま種類があるため、厳密に定義することは難しい。一般に使われる搾取とは、その国の労働基準法が定めた、最低労働賃金を下回る労働をさせている場合である。もっともこれは労働基準法がある現代の話しであるが。
労働基準法に違反すれば、明らかに搾取のはずだが、それでも世界中のありとあらゆる場所で公然と違反が続いている。違法滞在者、密入国者、発展途上国など弱い立場の人々は、どんな仕事でももらえれば幸運だからだ。そのような人々に、選択の余地などない。人々は常に足元を見られ、信じられないほど安い賃金で働かされるのである。
海外における欧米企業の搾取は、すさまじいものがある。正当な賃金を払っている企業もあるが、多くの場合は、最低賃金を大幅に下回る不当な搾取を続けている。世界的大企業にあるまじき行為も多々見られる。近年になり、ようやく非難の声が上がるようになったが、厳しい罰則で取り締まられない限り、搾取は続くのである。
資本主義の弱者は、ただ搾取されるだけである。弱者が強者の搾取から逃れ、救われるためには、自分が強者になるしかほかに道はない。だが、搾取から逃れるために強者になると、今度は自分が搾取する側に回ってしまう。
資本主義では、経済力のない国や人々が対等に扱われることはない。自分では望んでいなくても、結果的に搾取につながってしまうのは、すべて『西洋文明の常識』にあった。
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