1996年に文部省(現在の文部科学省)の中央教育審議会(中教審)が「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」という諮問に対する第1次答申の中で、
我々はこれからの子供たちに必要となるのは、いかに社会が変化しようと、自分で課題を見つけ、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、行動し、よりよく問題を解決する資質や能力であり、また、自らを律しつつ、他人とともに協調し、他人を思いやる心や感動する心など、豊かな人間性であると考えた。たくましく生きるための健康や体力が不可欠であることは言うまでもない。我々は、こうした資質や能力を、変化の激しいこれからの社会を[生きる力]と称することとし、これらをバランスよくはぐくんでいくことが重要であると考えた。
と述べたことから、教育の新たな目的の一つとして上げられるようになった。
上記のような理念を受けて、その後の学習指導要領の改訂時に総合的な学習の時間が創設された。
2002年以降実施の学習指導要領では、ゆとりの中での特色のある教育によって生きる力をはぐくむという方針であり[1]、2011年以降実施の学習指導要領では、ゆとりでも詰め込みでもなく、生きる力をよりいっそうはぐくむという方針である[2]。
とても回りくどい。人生の日が暮れる。
生きる力は、そんな概念の世界に走っていくものではない。
生きる力の根幹は、地球存在として、地球が行う生命活動に絡みつき、そこから、栄養やエネルギーを循環的に獲得していく能力である。
文科省のやっていることは、地球生物の生活から完全にずれてしまっている。
ずれてしまった霞ヶ関である。
われわれまともな民衆がやれることは、生活を忘れ、幸福を忘れ、恥ずかしいのに得意になっている愚か者にしっかりとしたことを教育してあげることである。
狭い地球に共存している以上、愚か者の愚挙を放置していることはできない。
目の前の幸せを放棄して、はるか遠くまでいかないと何も無いような錯覚を起こしてはならない。
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