体罰体罰と問題のすり替えかと思われる役所の動きがある。
そもそも、日本の教育は何を目標とするのか?
民衆の主体的な議論はあるのか。
日本では議会制とは民衆の議論を封じ、外国大資本、国内資本、特権官僚の利権を維持拡大するために機能する。
体罰体罰と担任の行為規制が先にでるのは極めて不審である。
教育は、社会の現実をもろにうける。バカな家庭は子供にテレビを無制限に見せる。
教師はその結果からスタートをきるのである。
もともと、いかなる刺激を子供に与えているのか。親になりきれない子持ちが激増している。
ゆとりもないのに子供を産むな!
怒る時に怒る指導こそが必要である。
メディアは体罰で自殺した事例だけを選択的にたれながしている。
御用報道である。
現場の破壊は急速にすすみ、職業専門家の技は消滅している。
日本の劣化は、一人一人の足元から起こっている。
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